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高山 京子氏(元・法務図書館勤務)受賞の言葉

ご紹介いただきました高山でございます。

今日は大勢の皆様がお集まり下さいまして、有難く感謝申し上げます。図書館サポートフォーラム賞を頂くのは、非常に光栄なことでございます。有難うございました。この賞は、社会に貢献した図書館活動に対して授与される賞であり、身に余る名誉と思っております。なお、副賞として日外商品の図書も頂戴いたしましたが、こちらは『災害史事典』など、被災地支援の意味でも有益な図書が含まれておりますので、仙台法務局に寄贈いたしました。

私は法務図書館に約40年間勤め、13年前に退職しました。法務省の赤レンガ棟は、皆さんご存知でしょうか。桜田門の近くにございまして、明治21年に着工して約8年かけて建築された歴史的な建物です。その後、大正12年の関東大震災にもびくともしなかったのですが、昭和20年の大空襲では、内部がすっかりやられてしまいました。20年から23年の物資の乏しい時代に取りあえずの修理を加え、法務省が復帰しました。建物は年々古くなりましたが、文化遺産として残さなければいけないということで、平成3年から6年にかけて復元作業を行い、昔の姿に戻しました。現在の法務図書館は、その赤レンガ棟にありますが、そこに落ち着くまでには、書庫の設計や図書の大がかりな移転など、多くの苦心もございました。

移転後まもなく、平成10年3月に退職いたしました。退職後はいろいろなお話をいただきましたが、立法資料を刊行している信山社にお世話になることにしました。法務図書館に長くいたとは申せ、信山社には本当にベテランの方もおられ、私は勉強の毎日でした。資料がいかに大事かということにも気がつきました。信山社にいる間、毎日のように国会図書館の憲政資料室などに出かけて、明治の先人の残した資料を沢山見ました。

そんな時、思いがけず法務省の方から、「いわゆる未整理図書がダンボールが42箱あるので、検討してほしい」という連絡をいただきました。42箱の存在は、在職中に知っていましたが、その内容に触れたことはありませんでした。司法法制部に出向きますと、「ダンボール箱の中身を点検し、整理すべきかどうかを判断してください。整理の必要はないという結論になれば、廃棄する予定です」と言われました。私は自分でどうしたらいいのかもわからないまま、「点検してみます」と答えていました。心の中では、「廃棄されてしまったら、資料は二度と戻らない」という思いが湧いていました。

今日は藤井祥子さんがお出でになっていますが、藤井さんは、宮内庁書稜部に長年勤務され、古文書にも詳しく、私の尊敬する友人です。「藤井さん、こんな話があるので何とか手伝って頂戴」とお願いしました。また、専門性の高い仕事ですので、早稲田大学講師の小沢先生や、慶応大学の院生でいらした出口先生にも「お金は払えないけど、ともかく来て欲しい」とお願い致しました。皆さん交通費もなしで大変な思いをして、2年間頑張りました。その内、法務省の方でも情況を理解され、私にお金が出るようになりました。しかし、6人位院生の方がお見えになると、お金を割ってお渡しするのですが、お弁当代が出るか出ないか位の金額でした。それでも資料の整理の方は、だんだんと捗り出してきました。

幸いなことに、平成13年3月6日、法務省赤レンガ棟に特別顧問室が出来ました。当時は、民事訴訟法の三ヶ月章先生と、今日お越し頂いていますが刑事訴訟法の松尾浩也先生のお二人が特別顧問で、私は両先生の秘書を務め、併せて整理作業に従事することになりました。非常勤ながら法務省職員に復帰しましたので、周囲の見る目も違ってきて、作業は軌道に乗ったということでございます。

今日は、國學院大学の高塩先生も御出席下さっていますが、先生は、日本法制史の大家です。先生のお力も借りたいと思い、「お金は出せないんだけど、徳川禁令考など、徳川時代の法令集の整理の部分をお助け下さい」と、直接お電話して頼み込みました。このように、人と人との関係で整理作業が進み、法務図書館の目録が完成したのでございます。完成した目録15冊は、この部屋の後ろの方に展示されておりますので、どうぞご覧になって下さい。

もしも私が、「この仕事をやりなさい」と今言われたとしましたら、それは到底お受けできません。あの頃は私にもまだ情熱があり、夢があったのです。周囲の人たちからどのように評価されようと私はやるのだ、一生懸命最後まで成し遂げるのだという気持ちで励んできました。気持ちが荒れたこともあったようです。藤井さんは、当時を回想して、「あなたは鬼のようだった」と言われました。

皆さんにご迷惑をかけましたが、その時参加して頂いた大学院生の方たちは、揃ってご立派になられました。すでに大学で教えておられた小沢先生は札幌学院大学の教授です、また、法政の院生だった宮平さんは流通経済大学の教授に、慶応の院生だった出口さんは桐蔭横浜大学の准教授に、神野さんは武蔵野学院大学の専任講師に、児玉さんは舞鶴工業専門学校の専任講師に、それぞれ就任しておられます。中網さんは早稲田大学法務教育センターの主任研究員です。皆さん学者として活躍しておられるわけで、私はとても嬉しく思っております。また、これから多くの方がこの目録を使って良い論文を書いて下されば、嬉しいことです。目録ができれば、永遠と未来、現在そして過去、それらが全部つながるのではないかと思い、夢に向かって仕事をしてきました。

今日は、未来社や信山社の社長さん、印刷を担当して下さったヨシダ印刷の北原さんや藤井さん、国立公文書館の鹿島さん、それに松尾先生、高塩先生、出口先生など、多くの方にお出でいただきました。皆さんに見守られながら、こうした立派な賞をいただくことができ、本当に幸せと思っております。有難うございました。しましたが、本日は本当にありがとうございました。(2011/4/11)

お祝いの言葉:松尾浩也氏(法務省特別顧問・東京大学名誉教授)

ご紹介いただきました、松尾浩也でございます。今日はこの第13回図書館サポートフォーラムにお呼びいただき、お祝いの言葉を述べる機会を与えられまして、光栄でありますとともに恐縮に存じております。

受賞された三人の方のうち、高山さんの仕事については直接に知っておりましたが、他のお二人については、今日ご説明をいただき、また本人方のお話を拝聴しまして、河塚さん、飯澤くん、それぞれ大変立派な仕事をされ、優れた業績であって、まさに表彰に値すると思いながら、お話を聞いた次第であります。

このように言葉を述べるのは大変恐縮だと申しましたが、ご列席の皆さんは図書館の仕事について非常に精通しておられ、長い間図書館の仕事をして来られた方も少なくない、相撲の番付で言えば、横綱、大関のような方たちの集まりです。一方、私はその分野で何も足跡がない、いわば幕下のようなものでございまして、どうやって高い所からお話をすればいいのか、非常に恐縮する次第でございます。

ここに出席しましたのも、もっぱら高山さんとの関係でありまして、先程お話にありましたように、ちょうど10年前の平成13年春、私は法務省で特別顧問に就任しました。私より先に民事訴訟法学者の三ヶ月章先生が、やはり特別顧問になっておられまして、特別顧問が二人に増えました。法務省ではこの機会に部屋を作ろうということになったようです。桜田通にある赤レンガの明治28年に出来たという古い建物、そこに「特別顧問室」が出来ました。

部屋ができてみるとやはり忙しなく、秘書が任命されることになりました。特別顧問二人の平均年齢は、その当時75歳でありました。秘書にも相当貫禄がなくてはということになりまして、法務図書館を定年退職しておられた高山さんが選ばれ、特別顧問室秘書になられました。先程のお話からもわかりますように、高山さんはダンボール42箱と取り組むつもりでおられて、そこに併せて特別顧問二人が入って来た訳です。高山さんの関心はその後10年間、42対2の割合でダンボールの方に向いていた訳です。

今回も、「こういう表彰制度があるので、私の仕事が表彰に値すると思えば、推薦状を書いて下さい、思わなければ書かなくて結構です」というのが高山さんからの話でした。私は推薦に値すると思いました。早速パソコンに向かって推薦状を書いた訳です。その後、かなり時間が経って、半ば忘れかけていましたら、最近になって「表彰の対象になりました、ついては4月11日に式典がありますので、それに出席して下さい」と言われました。出席すると答えましたが、今度は3日程前に、式典に出たらお祝いの言葉を述べるように言われ、それはないでしょうと思いながら今日に至った次第です。

私が図書館というものに、強い関心を抱いたことは何度かあります。その第一は、昭和29年の春、私は東京大学の助手に任命されました。辞令をもらいまして、その足で図書館を見学させるということで連れていかれたのが、法学部の付属図書館でありました。当時はエレベーターもなく、階段を上って私の専門である刑事訴訟法の書棚に行きました。そこには、今まで名前を聞いただけの、あるいはちょっと見ただけのドイツ、フランス、イギリス、アメリカなどの専門書が配置されておりました。本当に、宝の山に入ったという感じがしました。

それから約10年がたちまして、私はフルブライト研究員に選ばれ、アメリカのミシガン大学で勉強いたしました。そこにも立派な図書館がありましたが、それ以上にそこで認識しましたのはライブラリアン、図書館員という人たちが大きな仕事をし、また尊敬を受けているということでした。今日もお話を聞いておりますと、河塚さんは大学で専門に講師をされているようですが、ミシガン大学でもライブラリアンは、教授たちと対等の立場で議論をし、学生に対して法律の文献の扱い方を指導していました。非常に優れた人たちで、いろいろな国から来た留学生たちにも熱心に対応していた姿を今でも思い出します。

日本に帰りまして私は、駒場の教養学部で教えていましたが、その後本郷の法学部に移りまして、定年まで勤めました。同じ所にだけおりますと経験が限られたものだけに終わってしまいますが、定年後、上智大学や慶応大学に非常勤講師としてお世話になりました。図書館も利用させてもらいましたが、図書館というのはそれぞれに特色を持つと感じました。

時代の変化の中で、図書館業務も、変わってきたと思います。昔の図書館は、司書の人たちは静かに整然と並んでいましたが、今の図書館では司書の方が自ら動き出しているという感じがします。かつては植物のような印象でしたが、今ではむしろカゴから出された鳥のように、あるいはウサギのように跳ね回るのが、新しい司書の姿ではないかと思われます。

今日はこういう会に伺うことが出来て、大変有難く思っております。皆様のますますのご活躍を祈りまして、お祝いの言葉とさせていただきます。(2011/4/11)

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