大宅 映子 氏(公益財団法人大宅壮一文庫 理事長) 受賞のことば


大宅映子氏 どうも皆さまこんにちは。大宅映子でございます。

 この度は図書館サポートフォーラム賞をいただきまして、本当にありがとうございます。 聞き及ぶところによりますと、この賞は元図書館に勤めていらした方が中心で、図書館のより良い社会的・文化的発展を望んでいらっしゃる方々、言ってみれば、図書館のプロの方々に選んでいただいたということで、ことさら嬉しく思っております。ありがとうございます。


 大宅壮一文庫っていうのは、まあご存知の方はご存知だと思うんですけれども、父親、壮一が生前中に自分が原稿を書くために膨大なる資料を集めました。それを引かなくちゃいけないわけです。あるだけじゃダメなんですよね。国会図書館には雑誌はあるんですけれど、引くことはできない。

 どうやったら活用できるかっていうのが、大宅壮一の発想の原点。で、彼は本というのは読むものではなく引くものだ、と。あるだけで、どこに何があるか分からない。みなさんもやってません? クリッピングって、とって、しまって、どこにしまったか分からない。それは無いに等しいわけです。それを彼独特の索引のシステムをつくって、職員も雇って、で、自分が引いて、書けるようにしたんですね。



 うちの父は1900年生まれの1970年に亡くなった。とてもわかりやすいんですけれど、明治33年生まれの昭和45年に亡くなったんですが、遺言で、自分の集めたこの雑誌。雑誌に特化してます。

 本って、子供のころ、うちにはね、児童世界名作全集なんてのはないんです。全然。厚い表紙で硬い表紙でピカピカしてるのなんて全然ない。その代わり、辛亥革命、袁世凱の裏話みたいなのはあるんですよね。そうすると社会科のレポートは、そういうのを見てやるから、ほとんど講談みたい。「そこで出てきたのが〜」みたいな話でやるとウケてましたけど、まあ、それは私にとっても活用できたんですけどね。えー、そういう形です。もう雑誌というのは父にとっては。

 うちの父はベストセラー「世界の裏街道を行く」というのを出しました。裏街道って、裏っていうのが大好きだったんですね、彼は。その表のピカピカしたようなとこは好きじゃなくて。裏っていうか、雑誌っていう、みんながそれこそ項目にも挙げてくれないような、ただあるよ、とかね、あの電車の中の網棚の上に捨てられちゃうとかっていう、雑誌こそが、彼のいちばん興味のある人とか命とか生活とかっていうものの情報の宝庫だというのが彼の考え。

 父が亡くなって遺言が出てきまして、この集めたものをどこかの一社の私有物にはしないでくれ、と。マスコミの共有物にして、パブリックに使ってもらえたら嬉しい。で、母はすぐ行動に出まして、いろんな方にお助けいただいて、財団法人をつくったんですね。

 この「雑誌を大事にする」っていうか、その「情報に貴賎はない」っていうかね。逆に言うと、そういう、「みんなが捨てちゃうようなもののほうが大事」だっていう彼の思想を、あの、ひとつ示すエピソードをご紹介します。

 私が旦那と婚約しましたときに、昭和39年かな、えー、旦那がうちへ来ました。褞袍(どてら)を着ている大宅壮一さんが赤鉛筆を持って、『アサヒ芸能』を読んでいた(会場笑)。 わかります?『アサヒ芸能』。わかりますよね? 普通はちょっとあんまりね。昔は『内外タイムス』とかね。今、それ全部ちゃんとした週刊誌に一緒に入ってるっていうのは、それは私、日本の文化としていとおかしいとは思ってますけど、まあそれはいいんですけど、まさか大宅壮一が『アサヒ芸能』を読んでいるとは思わなかった。しかも、赤鉛筆持って、使おうと思って、線を引いてるっていうのは。うちの旦那、ひっくり返るくらい驚いたんです。

 もうひとつ、今、イギリスの話があったんで。1960年だったと思うんですが、日本人は犬をいじめるっていう話があったのを覚えてますか? あれでイギリス大使館から親父さんが招待を受けまして、イギリスを見て欲しい。それで三鬼陽之助さんと藤島泰輔さんと三人が行く、と。

 で、うちの父が、私を通訳として連れてく、母を看護婦として連れてく、と。行きました(会場笑)。それで、そこに、日本の京大を出た、すごい教養豊かな男性の通訳がついたんです。もうずっとアメリカに住んでる方。それがあるとき、映子さん、どうしても僕にはわからない日本語があるんだけど、意味を教えてくれないか、と。

 なんだと思います? アングラっていう言葉だった。日本からくる立派なものの中に、アングラなんて解説もないんですよ。週刊誌とか雑誌とか、それこそ内外タイムスっぽいスポーツ紙みたいなところには出てくるけど、朝日新聞にはたぶん出てこなかったんだろうと思うんですよね。それね、アンダーグラウンドの略なのよ、って言ったら、もう彼もびっくりして、そーんなこと考えもしなかった、と。

 だから、そういう人の生活なんかを知ろうと思ったら、そういう日本の文化っていうのをわかるためには、私はほんと週刊誌っていうのがね、ものすごく重要だと思います。 日本の外務省が外地に行ってぜんぜんダメなのは、そういうのやってないからですよ。表側のばっかり集めてるから。ぜんぜん日本のこと知らない人、もし外務省の人がいたらごめんなさい(会場笑)。私もあちこち行きましたけど、本当に日本のこと知らない人たちが日本の外交官、窓口やってるっていうのはね、何度も思いましたから。はい、失礼しました。余計なことでした。


 えー、で、おかげさまで、メディアにみなさん活用していただいて、いちばん有名なのは、あの立花隆さんが、田中角栄研究は大宅文庫がなかったらできなかったっていうふうに言って。徹子の部屋でも彼言ってますし。

 ところが、ところが、さっきも話が出ましたインターネット。居ながらにして7割ぐらいの情報収拾ができちゃうわけですよ。チャラチャラっと記事も書けてしまう。しかも、そのメディア自体が地盤沈下。

 大宅文庫の場合、テレビが最大のお客様なんで、なんかネタがないと、大宅文庫行ったらなんか企画が引っかかるみたいなところがあったんですけれども。このごろテレビ見てると、見てらっしゃる方わかると思いますけど、コスト削減が全面に出てますので、なんかタレントが知らない駅で降りてブラブラ歩いてみる、みたいなのばっかりじゃありません?(会場笑)なんなのこれ?っていうふうに思ってますけど、彼らも背に腹は代えられないんだろうな。

 大宅文庫が最近、やたらに取り上げられているのは財政難、存続の危機、っていうのばっかり。もう本当にちょっと忸怩たるものがございますけれど、でも、これは本当に世界の流れで、いくらうちの大宅壮一が考えたことはGoogleより何十年も早かったなんて言ったって、お金にはならないわけでございまして。

 で、天声人語から爆笑問題まで。爆笑問題ってご存知ですか、ね。あの2人とデヴィ夫人と田原総一朗さんとで、大宅文庫へ来て、さあ、誰から金を引き出そうか、孫正義さんがいいんじゃないか。まさかそこを放映すると思わなかったんですけど、ちゃんと出てきちゃったりしまして(会場笑)。

 ものすごい量の取材を受けて、いろいろ皆さんが心配してくださって、存続しろ、と言われて、逆に初めて、初めてってことはないんですけど、こんなに皆さんから大事に思われてるんだなっていうのと、やっぱり、実物の雑誌をその場で見られるっていう凄さね。

 あの情報としてバーっと横書きになって出てくるデジタル資料。私あの横書きはね、斜め読みができないからぜんぜんダメなんですよ。なんかあれ血が通ってない気がしません? 縦書きになってたら、サッと斜め読みができて一枚ずつペッペッペッて。私、小学校3年から新聞5紙読んで育ってるもんですから、読むのだけは速い。だけど、横書きなんてのはぜんぜん読めないし、あの、違うものだと思うんですね、私、情報として。 だから、もしいらしたことない方はぜひ大宅文庫にお越しくださいませ。昭和20年代の週刊誌なんか見ると、ああ、こうだったわよね。紙はガサガサでっていうのを見ていただくと、その、ただそれが活字化されてデジタルで出てきたものと全く違うものがあるって思っているんです。

 ともかく、財政難であることは確かでございまして、えー、ただ、もうすぐ潰れるとか、そういう話ではぜんぜんないんです。全体の傾向としてやっぱり下がっていっているっていうことなんですね。

 本当に反響の大きさを実感して、これは大宅壮一が発想し、大宅昌が財団法人にし、私はほとんど何にもしない、飾りもんみたいなもんで。この索引をね、作るっていうのが、今日、大宅文庫から3人来てくれてますけれど、本当に地味な、何十年もやってるんですよ。ありがとうございます。ほんとに。それがなかったら続いてはいないんですよ。

 やっぱり、発想して、財団法人にしたとこまでより、その後、続いたところのほうが、ものすごいことだっていうふうに私は思っています。私はただただ名前継いでるだけですから、ほとんど役には立ってないっていう気がするんで。えー、これからもぜひ皆さんがこれはあったほうがいいと思っていただけるのであれば、ご支援いただけるように、心からお願いします。ぜひ、これご覧になってください。なかなか面白くできあがっています。今日は本当にありがとうございました。