栗田明子 氏(鞄本著作権輸出センター創業者・相談役) 受賞のことば


栗田明子氏 栗田明子です。

 本日はほんとうにありがとうございました。

 著作権輸出の仕事を後継者に譲り、故郷の芦屋でのんびり過ごしておりましたら、私の知らない「図書館サポートフォーラム」から、表彰して下さるというメールが来まして、びっくりいたしました。別にあやしい団体だとは思いませんでしたが、事務局が日外アソシエーツとありました。

 同社の社長と専務には「出版研究創の会」という出版社の創業者の会で、奇数月の例会でお目にかかっているものですから、思わず「ご存知でしょうか?」とお尋ねしてしまいました。「営業担当の役員が事務局をお引き受けしています」とのお返事で、いよいよ安心し、ホームページを開きました。東京子ども図書館理事長の松岡享子さんも受賞されており、何度かお目にかかったことがある日本点字図書館の創立者、故・本間一夫先生のお名前もありました。

 「でも、なぜ?」という疑問を持ちました。在職中に日本図書館協会で、「児童図書館員養成講座」を、全国から応募された図書館員のために、何年か受け持たせていただいたことかしら?

 あるいは、日本点字図書館で谷崎潤一郎の「細雪」など、朗読奉仕をしたからかしら?とあれこれ考えながら読み進むと、「まるで「出版界の兼高かおる世界の旅」のように刺激的で…」と、推薦のお言葉が出てきました。そして、じわじわと喜びが湧いて参りました。当時、兼高かおるさんは世界への窓を開いて下さった憧れの方でした。まことに光栄なことです。

 75歳で退任してから、何度か海外に出ました。その時、書店や図書館で私の橋渡しで出版された本に出合うと、まるで子供や孫にでもあったような喜びを感じます。黒子の仕事を認めていただいたことが、大きな喜びです。改めて、撰者の皆様にお礼を申し上げます。

 もとはといえば、使命感というよりも、好奇心に突き動かされてやり始めたことです。「だれも日本の心の輸出を手がけていない」ことに気が付いて「誰かがいつか」やらなくてはならない仕事、それなら「私でしょ、今でしょ」と考えたわけです。

 昨今「今でしょ」というセリフが流行っていますが、思い当たることがあります。1986年に国土社から出版していただいた『ゆめの宝石箱』という著書で触れましたが、「タルムード」というユダヤ人のための聖典の一節です。エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』で見つけた言葉です。簡単ですので英語でご披露します。


 “If I am not for myself, who will be for me?
 If I am for myself only, what am I?
 If not now ─ when?”


 簡単に申しますと、「自分を生きよ、今を生きよ」ということだと解釈して、私の座右の銘としておりました。

 自分が出来ること、自分しかできないことを実行しよう、それは今だ!と考えて実行しました。

 小川洋子さんが「日本文学を海外へ導いたのは、海図のない航海に出た栗田さんの熱意だった」と本の帯に書いて下さったのですが、まったく無鉄砲な船出だったと思います。何とかなる、という思いでこつこつ歩みだしたわけですが、26年を経て、後継者に譲る時点では、40か国を相手に、13,000件の契約管理を行うようになっていたのは、自分でも意外でした。

 私一人の力ではなく、周囲の皆さんのお力添え、日本の図書に興味を持って下さった海外編集者あってのことです。その皆様に感謝いたします。とりわけ、栗田・板東事務所で苦労を共にした、板東悠美子さんに深謝したいと思います。今日もご出席いただき、ありがとうございました。

 実は、独立して仕事をやろうと決心したときに、作家の河野多恵子さんにご挨拶に参りました。問われるままに生年月日をお伝えしますと、占ってくださいまして、「大金もちにはならへんけど、生活に困ることはないわ。なんでも好きなことしたらええわ」と励まして下さったのです。それで安心して船出が出来ました。幸か不幸か、ギリシャの大金持ちに出会うことはなかったのですが、何かマイナスになることがあると、それと同等かそれ以上の契約申し込みが降って湧いて来るとか、ちょっと不思議な感覚になることがあったりしました。

 父は、女が大学に行っても役に立たん、と申しました。「学校の先生になるのが精いっぱいで、先生になったらお嫁に行きそびれる」とは、明治生まれの父の言い分でしたが、今は、ひょっとして苦笑いをしながら、守っていてくれたのかもしれないと思っています。

 ケルンで、愛車のフォルクスワーゲンゴルフに、間違ってガソリンの代わりに軽油を飲ませてしまったことがありましたが、追突されたりせずに、ぶぶぶーっと不満げに三車線の真ん中に立ち往生するだけで難を逃れました。その種の失敗談をお話しし始めたらきりがありません。

 80歳にして、このような光栄に浴したことをほんとうに、うれしく存じます。大きなご褒美をいただきました。どうも、ありがとうございました。