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近江哲史氏懇話会―図書館と利用者―

日 時 2008年1月24日(木)16:00-17:30 終了後に新年会を開催
講 師 近江 哲史氏
場 所 東京都写真美術館4階・会議室

近江哲史氏懇話会2008年最初のイベントとして、東京都写真美術館見学会の同日、『近江哲史氏懇話会・図書館と利用者』が催されました。近江氏の著書、『図書館に行ってくるよ』『図書館力をつけよう!』は、“利用者の立場から図書館を書いた”と評され話題となりました。2008年12月には続く第三弾『図書館でこんにちは』が刊行となったばかりです。

今回の著書では近江氏自身が図書館ボランティア団体に参加し、ついには団体をNPO法人化して図書館運営受託の準備をするに至る活動の軌跡が詳しく書かれています。懇話会ではその中で見た図書館協議会の在り方についてなど、興味深い話を聞かせて下さいました。「喝!」という厳しい標題を掲げながらも、ユーモアありハーモニカの演奏あり。終始和やかな懇話会となりました。 以下に原稿を掲載いたします。本当にありがとうございました。

 近江哲史氏懇話会 近江哲史氏懇話会 近江哲史氏懇話会

図書館利用者は何をしているか(喝!)

近江 哲史

この頃思うのは、図書館利用者の多くは自分たちだけでブツブツ言っているということです。欲しい本がない、よい本が少ない、などと。あるいは世のお母さん方は小学生の子どもの図書室の様子を聞いてみて、司書教諭がいないからか図書室はほとんど開いていないとか古い本ばっかりだそうで情けないなどの話が多いようです。そんな状況で、それならどうしてそのままにしているのだろうか。図書館利用者は何をしているんだ、という話を今日は申し上げたいのです。

一.まず人は図書館を利用していたら、そこの長短が分かるでしょう。(使わない人には分かりません。図書館評論家でも実際に使うことは少ない。あるいは図書館職員そのものだって自分は使わせる立場で、本当に自分が使ったら、どうか。ある館長さんは定年後、自分で図書館に行ったらさっぱり使い方が分からなかったとか。)

使うというのは、本を借りる・読むという以外に、探す(ブラウジング)、聞く(レファレンス)、求める(リクエスト)などを続けることです。図書館ではとにかく静かにひっそりと本や人に付き合うしかないものと考えている人がまだまだいます。これだけのキーワードを普及するだけでも、活性化がはかれると思われるほどです。

・蛇足:図書館での三大質問

  1. 「・・・という本はあるか」(所蔵・所在)
  2. 「・・・に関する本」(読書案内・文献調査)
  3. 「・・・について知りたい」(事実調査)
    (斉藤文男・藤村せつ子『実践型レファレンス・サービス入門』日本図書館協会)

図書館を利用するに、個々人は普通は自分の生活している場で、最寄の図書館を使うのが多いでしょう。問題は図書館のレベルの比較です。他所から転居して来た人には今度の町の図書館のよさ・悪さがすぐに分かります。そういう点で個人の満足度は客観性がありません。

二.そこでそれが分かるくらいに図書館を使いこなさなければいけないと思います。今、ミシュランの本が大した話題になっていますね。昨年暮れ近く、この日本版(東京だけが対象)が出ました。十二万部とかがアッという間に完売したといいます。ミシュランで一つ星(127軒)とは、そのカテゴリーで特においしい料理という基準によります。二つ星(15軒)とは、遠回りをしてでも訪れる価値のある料理。三ツ星(8軒)とはそのために旅行する価値のある料理、それを提供する店ということです。ミシュランはタイヤの会社ですが、こうして人の移動との関係で、こんな関係もなさそうなイベントに関わったということなのでしょう。評価には店の構えとかサービスは問題にしないそうです。とにかく料理そのものの評価です。四人のフランス人と一人の日本人、そういう調査マンが何年か丹念に調べて歩いた結果ということです。

図書館界でも、図書館評価という問題がありますが、ミシュランの話は参考にならないでしょうか。まあ国立国会図書館は職掌がら、そのために行かなければならないことが多いからということもあって、星三つあげなければならないでしょうか。評判の高い浦安市立図書館は二つ星かもしれません。この頃人気の(指定管理者で)千代田図書館も星が貰えるかも知れませんがどうでしょうか。図書館と料理屋さんとは全然違うといわれればそれまでですが、その評価基準は基本的なところで、参考にしてもいいように思います。

三.問題があれば、とにかく図書館側にもの申さなければ、改善は望めません。図書館協議会があるならそれを活性化させる必要があります。私も二年間ほどの実体験があります。

たいていの「協議会」は有名無実ではないでしょうか。行政側は計画・予算など、あるいは計画案・予算案などをほとんど出来上がった姿で持ってきます。時間的にも内容の事後承認的なもとならざるを得ないのです。一年間にたった二回、各二時間、これだけではペーパーの説明だけで終ります。

それと委員にも問題があります。意見を述べようという気のある委員もいますが、残念ながらこの人達もそんなに図書館を使っている人は少ないのです。だから、実のある討議などは初めから期待できません。委員たちは、ここで図書館とはどんなものなのか、初めて勉強していくという状況なのですから、建設的な意見など図書館を充分利用しての上での提案などはとてもとても、という感じですね。そして図書館が少し分かりかけた頃にはもう任期がきれてしまいます。

四.しかし、日々使う図書館は支援し、可愛がらねばなりません。友の会とかボランティア団体を立ち上げ、あるいは参加してグループの力を活用したいものです。たいていの図書館には友の会かボランティア団体があるはずですが、これを知らない「本好きの人」「図書館好きな人」がいます。これらの人々はまとまった方がよいでしょう。おたがいの刺激になり、仲間意識は楽しいものになります。高齢者は特に必要な「お付き合い」です。

五.ダメだと思ったら、こちらで図書館(行政)を動かさねばならない。その観点から最近話題になっている指定管理者の問題や業務の外注化を問題にすべきです。行政の財政貧困というころから、それが実行されようとしていますが、サービス思想の欠如とか独創性の問題とかそんな視点を導入すべきでしょう。競争原理の働かないものは衰退するのが普通です。お役所仕事には勿論いい部分もありますが、欠点もあります。

流山市の図書館はこの四月から三つの経営母体が管理運営を競合することになります。

中央図書館は市の直営、北部地域図書館はNPO法人が指定管理者として受託。そして他の四つの分館については窓口業務について別の業者が業務委託という形で入り込むことになりそうです。どれが利用者にとってよりよいサービスを実現することになるのか、見ものです。

六.それから言いたいことは、大人の読書啓蒙もはからねば、市民がバカになるということです。子どもの読書啓蒙だけでは足りません。昨年(07年)10月24日の「文字・活字文化推進機構」設立記念総会というものに出てみましたが、政治家や高級文化人のお話ばかりでした。「アピール」によれば、当機構は「子どもの読書活動推進法」と「文字・活字文化振興法」の諸施策を具体化する運動に取り組む、とされますが、この会でもついぞ現実的な話や雰囲気は感じられませんでした。子どもに関しては割りに具体的にどこでも進んでいるようだが、大人についての読書啓蒙はほとんど聞かれません。ほっておくと、大人も皆バカになるのではないでしょうか。

そうならないように、私は流山市で「本を読もう・流山の会」というものを立ち上げました。具体的には「公開読書会」という姿をもってします。これでまず取上げたのは、市民共通の問題意識と想定して「図書館の使い方」と「読書の方法」についてQアンドAの方法で話をしました。また、本を耳で聞く楽しさを知ってもらいたいものと考えて、本の朗読を毎回一本以上入れました。皆朗読というものには慣れていないのですが、意外におもしろいのに感心しているのです。それと市民が随意の読書発表をして貰うという、この三点が内容です。

余談ですが、著者が人に読み聞かせをするために創った物語が少なくとも三つあります。一つはロバート・ルイス・スチーブンソン(1850~1894)の『宝島』。アメリカ人女性ファニー・オズボーンと結婚した時、その連れ子ロイド・オズボーンを楽しませるために空想の地図を描き、それを元に毎日一章ずつ書いて夕食後に読み聞かせたものといいます。(『ジーキル博士とハイド氏』新潮文庫の解説による)二つ目は『千夜一夜物語』、いわゆるアラビアンナイトです。シャフリヤール王が毎晩夜伽をさせては女を殺すので、大臣の娘シェヘラザードが自ら王に嫁ぎ、毎晩おもしろい話をして、次の晩につなぐ、という話で、これは有名ですね。三つ目はホジスンの『不思議な国のアリス』。これはイギリスの数学者ホジスンがテムズ川のボートの中でリデル姉妹に聞かせたアリスという女の子の冒険談です。ルイス・キャロルの筆名で1865年に出版されています。このように、大人も子どもも、物語は聞いて楽しむという方法が大きいのではないでしょうか。

私どものこの「公開読書会」はその後、市内のある自治会の文化講座で、二回に分けていわばこの出前講座の形で拡げてみました。この内容を、求められて出かけた山口市の秋穂町での図書館関連の会でも行ないました。(ここは養殖海老を日本最初に始めた所で、今も名物です。)海老の話で思い出しましたが、近々海老名市の図書館でも二回シリーズで話すことになっています。それはまた「図書館の使い方」と「読書の方法」です。私はこの二つのテーマをパッケージ化し、どこにでも持って行ける形につくり上げようと考えているわけです。

(以下の数行、お話では時間の関係で飛ばしました)

図書館の話というと、レファレンスとリクエストの話をまずしなければなりません。こんなことも気づいていない利用者が大半なのです。また図書分類の話をします。

そういえば最近私の考えた新十進分類法の話をしたいと思います。今、図書館では913ですか、日本文学の小説のところはあまりに多いので、数字はつけずに棚も別にして著者の頭文字カタカナ一字だけつけている図書館があります。私の方法というのは、9類をまったく独立させて「L」を頭につけて一から十進分類法の別の世界をつくるのです。元の方は9類が空くので、新たに何か設けたらよい。Lの世界では文学の世界を思うかぎり精緻な分類をしたらよいのです。これで図書館の図書数からすると、丁度半々になります。私は本というのは大わけするとすれば、「おもしろい本(文学)」と「役に立つ本(その他)」と区分するのですから、元々の1類~8類のものを「図書館」と呼び、新しいL字のついたものを収容する方は「読書館」と呼べばいいな、と考えます。本来、読書というのは、「役に立つ本」はこれに値しないと思うのです。こんなバカな話は先の公開読書会ではしません。ここでは内輪の皆さんということで気を緩めてのことであります。

次に公開読書会で話すのは、「読書の方法」です。効率のよい本の読み方というものをまとめてお話するのです。一例だけ挙げてみましょう。それは自分が苦手の分野を今度は是非学んでみよう、という時どうするか。一番易しい、あるいはなじみの持ちやすい本を手にするということなのです。私はちょうど昨年ハーモニカを習いはじめました。元々音楽類はもっとも苦手な私なのですが、せめて一つくらい楽器もどきものでも習っておいて、冥土の閻魔さんに聞かせてご機嫌を伺わねば、ということなのです。

(私がいかに下手な吹き手かを皆さんに確かめて頂きましょうか。――『故郷』演奏。下手なのに拍手を頂いた!)こういう時、これを機会に音楽の本も読んでみたい、ということになりました。ハーモニカの先生は、斉藤寿孝『ハーモニカのための楽典――今さら人に聞けない音楽の基礎知識』(全音楽譜出版社)というものを勧めてくれました。しかし私にとってはこれすらチンプンカンプンで、この中身の説明を人に聞きたいぐらいです。そうしたら、今度は私は辻志朗『ぜったい楽譜が読める!』(音楽の友社)というのが見付かったので、これを今読んでいますが、これでも私には難しい。本当に私がよかったと思っているのは、こうした実技の本ではなくて、岩城宏之の『指揮のおけいこ』で、これは本当におもしろかったですね。指揮棒というのはバイオリンの弓から発生したものであること、指揮者は何回タクトを振るか、台から指揮者が落っこちる話など、こういうところから音楽に対する興味が湧きました。次は何か読んでみようかという気になる。これが私のいう「一点突破」の術なのであります。

七.長い余談が入りましたが、かくて読書が普及すれば、市民の知性は向上し、図書館は「宝の山」となるのです。(それでもまだ図書館を使わない人がいる!)

ここで唐突かもしれないが、図書館と個人蔵書の違いを考えてみたいと思います。個人蔵書にははっきりした本収集の理念や方針があります。複数の人々の蔵書を考えても、それには限定されたポリシーがあるでしょう。もう少し行けばそれは専門図書館となる。公共図書館は、以前私がN図書館の司書に聞いてもみましたが、市立図書館では収集方針は持ち得ない、と。若い人、シニア、ビジネスマン、病人、誰にも公平にという公立図書館は、逆にいえば、皆に不満足なものだというのです。

本当の読書人は、自分の得たい、読みたい本をすべて図書館に頼りきるということは出来ないはずです。まあ図々しい人は限りなくリクエストを出して、自分の本を求め続けるかもしれません。しかし所詮自分の所有にはならないのだから、真の読書人は対応しきれない。絶対自分の確保したい本は自分で購入・所有し、その次のランク(つまり専門外の部分)だけ図書館を利用するということをするでしょう。

雑誌『WILL』2008年2月号に、渡部昇一氏と日垣隆氏との対談が載っています。ここで、渡部氏の最近完成した巨大書庫について紹介がされており、その内容は衝撃的なものでした。組織的な紹介ではないのですが、ここで知られることは次のようなことです。

  1. 渡部氏は77歳にして、銀行から数億円の借金をして(土地は前から購入してあった)、これを建設した。
  2. 情報と読書は違う。グレープフルーツはうまい。ビタミンCを摂るならサプリメントでいいだろうが、「うまい」という感覚は味わえない。読書は装丁・本の重さ・紙の質などすべてを味わうものだ。インターネット情報はサプリメントで栄養を取るようなもの。
  3. 書庫は15万冊入るが、地下一階から吹き抜けになっている。書棚は一階は二重、地下は三重の可動式。書架も電動書架もそれぞれ800万円ほど。
  4. 蔵書では
    (A)ダーウインの『種の起源』初版本を持つ。今年のオークションは1,600万円だった。
    (B)専門の19世紀のドイツの英語学英文学論文は全部集めてある。
    (C)1483年刊のチョーサー『カンタベリー物語』は一億円以上のもの。世界で12冊しかない。
    (D)オールド・イングリッシュで書かれたイギリスの最初の法律の本もある。
    (E)ブリタニカ百科事典の第10版(19世紀のもの、36巻、今のは24巻)を持つ。初版から最新の15版まで全部持つ。一番多く使うのは、アメリカとイギリスが一緒になってケンブリッジ大学で編纂した11版。
  5. 7年前、大学退職の時所蔵洋書をまとめた六百ページのカタログをつくった。ケンブリッジ大学図書館長が、これ以上のプライベートライブラリーはイギリスでは見たことがない、と言われた。深い満足感!
  6. 本は手元に置かねばだめ、丸山真男も東大を辞めたら、執筆が進んでいない。(若い頃、図書館に住んでいたことがあるが)図書館では必要な本を一冊見つけると、隣の本も参考になる。図書館がこんなに大きいのは、あらゆる学科に対応するためであって、自分に関心ある本だけを集めれば、もっと小さくとも充実したものができるだろうと感じた。

実は渡部氏には、この前談があります。30年前に氏の出した『続・知的生活の方法』に詳しい話が出ています。氏は若い時、大学図書館に警備員兼務で住み込んだ。図書館に内から通うという生活だったようです。するとまるで研究のはかどり方が違う。そして感じたのは、図書館の本は9割9分私と関係ない。関係あるものだけだったら、小さな図書館でも間に合う。将来、自分用の極小図書館(ライブラリー)に住みたい、と考えたそうです。

これの30年後の実現が、今回の巨大書庫なのだと思います。氏は「自分の志をそこにおいた」のでした。図書館論の最後には、この蔵書論が必要だと思います。そうでないと、本格的な読書にならないからです。私たちが言っている図書館論は、とりあえずの二流の図書館論なのかもしれません。

図書館の使い方について、私は利用者も文句を言え、ということを申し上げました。レファレンスもリクエストもドンドンやれといつも私は言っています。つまり、利用者も努力しなければならないのです。利用者としてもできるだけ図書館に熟達しなければならない。

(以下数行も懇話では飛ばしてしまいました。)

『正論』(産経新聞社)という雑誌で、読者が質問し、読者が応えるという欄があります。多くは、高齢者が昔歌った軍歌の一節を憶えているが全体の歌詞は? というような質問なのです。そこで記憶に残る話として私が回答を出したものがあります。

以前ジェンキンスが復員して来て、日本に来て横田基地かにおいて米軍兵士に帰着の申告をしているようなTV画面が流れました。そこで彼が背広姿なのに、挙手の礼をしたのですが、誰にも異様に見えました。これは米軍の礼法に適っているのか、という質問が出たのです。早速私は国会図書館に行って、旧日本軍の陸軍礼法・海軍礼法、また最近の自衛隊の礼法などを調べ、一方アメリカ大使館で紹介されたのですが、横田基地の広報にも電話で聞き、あれは間違いであるという確証を得て、この雑誌に発表しました。(05年4月号だったか)ところが反論をする人がいました。まあそれはどうでもいいのですが、私はこの投書欄で度々レファレンスのトレーニングをやっているわけなのです。

個人は図書館にモノを言え、と私は言いましたが、一方では協力体制もほしいと思う。自分で使い方を考えつつ、できれは組織的な「友の会」的なものも望ましいと考えます。

ご清聴有難うございました。


懇話会の後は写真美術館1階のカフェ「シャンブル クレール」にて新年会を行いました。見学会・懇話会・新年会と素晴らしい会場を提供して下さった東京都写真美術館の皆様へ心より感謝いたします。

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たくさんのご参加ありがとうございました。

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