【受賞のことば】
今日はサポートフォーラム賞ありがとうございました。ただいま表彰委員長から過分なお褒めの言葉をいただき、たいへん恐縮しております。
私、賞というものに本当に縁がありませんでした。ずっと考えてみたのですけど、小学校3、4年生のときに、家庭科の時間にふきんを縫いました。運針といいまして、手ぬぐいを折って、手に指貫をして、糸で裏表に七ミリぐらいのきれいな縫目が揃い良く出来たということで、講堂か教室に貼られて、努力賞みたいなものを頂いたような記憶があるだけです。
今回このサポートフォーラム賞は、個人の賞としては初めてで、たぶんもう最初で最後の賞で、冥土の土産になるのではないかと思っています。
ただ団体としましては、1980年に文化女子大学の図書館の服飾文献目録を作り、「私立大学図書館協会賞」を受賞しました。実際に編集作業をしたのは我々グループ数人でしたが、やはりあくまで団体としての賞ですから、館長が全国の私大図書館が集まる大会で恭しく賞状を受取りました。
今回は自分個人の賞という事で、たいへん嬉しく思っております。そしてその賞が、四十年近く図書館で勤めてきたことと、退職後もその延長線上での仕事を続け、「よく努力した」という賞かなとも思っております。
添付しました池田文庫の解題については、池田文庫というのは皆様のお手元に配ってあります資料にも書いてありますが、宝塚歌劇を創りました財界の文化人でもあった著名な小林一三氏が、レヴューとか演劇のために集めた小さな資料室がありましたが、それを引き継ぎ、今は、大阪池田市の池田文庫という図書館になっています。池田文庫は、演劇・文芸資料を収集していますが、どちらかというと和物、たとえば浮世絵とか、特に上方役者絵の収集では日本屈指だと言われております。が、欧文の服飾関係の資料については、整理があまりされておりませんでした。
私が伺ったときにも、目録も簡単なもので、この資料がどういう内容なのか、どういう価値があるのかという評価はなされていなかったようです。それで私が文化女子大学でこういう仕事をしているということを耳にされて、池田文庫の資料を見てくれないかと頼まれたのがきっかけだったのです。
『館報池田文庫』は、年二回の小冊子ですが、とても洒落た館報です。ここの資料紹介という欄で欧文の服飾関係の文献を連載で書かせていただいたわけです。最初が1993年で2004年までですから、十年以上長々と連載になりました。初めは一、二回の予定でしたが、今までどちらかというと日本の書物の紹介が多かったなか、欧文の資料を紹介したということで、半分お世辞なのかもしれませんけれども、読者から是非続けてほしいという要望がありまして、連載になり、いつの間にか長期連載になってしまいました。
池田文庫には何回か通いまして、書庫で本を見せていただいたのですが、欧文の服飾関係書、基本的で古典的な資料がきちんと収集されており驚きました。それは宝塚歌劇の演出家である白井鐵造さんという方がパリに留学されたときに、外国のポスター、楽譜、図書雑誌など購入されたものを、池田文庫に寄付され、今回私が書いた解題書の多くが、その白井文庫の中にありました。
服飾の文献というものは歴史が古く、初版のものは1590年くらいからあります。それはラテン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語版が多いのですが、池田文庫の本は、もう少しポピュラーな広まった段階での英語版が比較的多かったので、語学力の貧しさも、年に二回ということで何とかこなしてきました。
欧文文献の場合、どうしても語学力が要求されます。私たちが勤めていた1970年頃から2000年は意外と良き時代で、各大学図書館では電算化などに取り組んでいた活気ある時代でもありました。特に文化女子大学というのは、皆さんご存知の文化服装学院という服装の専門学校を母体として大学・大学院がありますが、専門学校生は多いときには一万人と言われた程で、けっこう財政も豊かだったようでした。その割には、図書館資料費は多くなかったのですけれども、古書屋が古典的な本を見計らいで持って来るときなど、特別購入願いの申請を書き、理事長室へ持って行きますと、大体OKが出まして、70年代から80年代には、かなり西洋の古版本、稀覯本を購入し「西洋服飾関係資料」のコレクションを構築しました。
購入したものの、では私たち司書はそれを整理し、利用出来るようにするのが仕事です。今度は問題が山積しました。ただ持っているだけでは死蔵本になってしまいます。目録を作り、どんな内容の資料かを学内に報知しなければなりません。そこで先ずみんなで語学の勉強をしました。業務終了後、ドイツ語の先生を外から招き、有志で勉強したり、私はフランス語やロシア語もやりました。館員それぞれ何か外国語をやっていたようでした。でも語学を色々勉強したと言いましても、「読める」までには程遠く、何語で書かれた本で、その単語がどういう変化をし、原形で辞書が引けるというくらいの語学力が身についた、ということです。
もう一つ、ラッキーであったことは、AACR2の西洋古版本の稀覯書の書誌記述を一橋大学の社会科学古典資料センターで学べたことでした。
定年の一年前、今日も館長の北畠耀先生がお祝いに駆けつけてくださいましたが、北畠先生は「長く勤めた最後だから好きなことをしていいよ」と言われまして、未熟もかえりみず、解題付きの貴重書目録を作成させて頂きました。こんにちの図書館界とは違い、まだ司書が頑張れた良き時代で、幸せだったなと思っております。
在職中での池田文庫の執筆は、毎日の仕事とバランスを取りながら出来ました。退職すると、よく鬱状態になるとか言われますけども、おかげさまで私は池田文庫いう目的があったせいか、母の介護と最後を看取ったときも、目標となり気力を与えてくれました。そこそこに辞書を引いたり本を読んだりして、長年、勤めた司書の仕事を元手にして自分のこれからの道を模索していました。年に二回の執筆でしたが、オーバーな言い方になるかもしれませんが、生きる勇気を与えてくれたと思っています。今は都留文科大学の図書館司書課程の非常勤講師をしています。
先日、本棚で館報を取り出し、連載で各巻ばらばらに掲載されていたものを冊子にまとめて、自分への贈り物にしたのです。
今日お手元にお配りしましたそれも、最初の号に掲載したものを載せましたが、池田文庫は、コアとなる服装関係の基本的な資料、特に演劇衣装考証に有用な資料、服装史から民族史まで揃っていました。欧文文献の解題という難しい書誌的な解説ではなく、「服飾史って面白いな」と一般読者が楽しんで読めるように読み物風に書いてみました。
そんな次第でございましたから、私は良き師、良き先輩に出会いチャンスをいただき、自分で好きなことをやって、今回この賞を頂けたということは、本当に嬉しく幸せ者だと思っております。ありがとうございました。 |