第8回図書館サポートフォーラム賞 井上如表彰委員長講評
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大きく二つ、今年の選考経過と結果のお話をいたします。
経過ですが、皆さんのお手元にご推薦をお願いしますという一枚物が事務局から送られていると思います。あれに書き込んでご推薦いただくということがスタートになります。その〆切後、コピーが幹事に配られます。
それをご覧になるとわかりますが、推薦の一枚物だけでは、資料が足りないわけです。選考委員がよく知っている候補、よく足を運んでいる図書館や、推薦対象になっている人物をよく知っている場合には問題ないのですが、とてもすべての候補については無理です。そこでどうしても附帯的な資料を提出していただくということになります。推薦を受け付けましたのでどうか附帯資料をご提供下さい、ということで、事務局で資料を集め、それが幹事に配られる。引き続いて選考委員会を開くということになります。そういう段取りで進めています。
先ほど代表幹事からお話がありましたとおり、幹事全員が選考委員です。当日出席できないという幹事の方もいらっしゃいますが、その方々にも全員に事前に投票用紙が配られまして、今年の表彰対象には三点の枠がありますから、候補の中から名前を書いて三点選んでいただくということをいたしました。
選考委員会ではいろいろ議論をいたしまして、すべての委員に評価を含んだ御発言をいただきました。ひと通りご意見が出尽くしたところで投票をしました。
今年の枠は三点ですから、一人三票。「自分はこの候補がいいと思うからこれだけに三票入れたい」というのは駄目です。各自三点選んでいただくと票がばらけます。ばらついた結果三点に絞られなかったら、二度、三度と投票して絞っていく。そうすることで徐々に意見集約をしていく。
それともう一つ、投票という方法が果たしてベストであるのか。これも私はベストだとは思っていませんが、セカンドベスト、サードベストくらいには良いのではないかと思います。一つのコンセンサスを得る方法としては良いのではないかと思います。投票はもちろん記名投票です。
経過はそのようなことでございましたので、結果について申し上げます。今年は全部で九点の推薦がございました。これからご説明申し上げますのはそのうちの六つです。
何故かと言いますと、九つのうちの三つは、説明資料が不足でありました。推薦者の熱意が感じられません。推薦しようとするならその辺の気合いを入れて推薦をしていただく必要があります。自分が推薦する以上、これを評価しないで何を評価する、というくらいの気合いを入れていただかないと。それに対して推薦状一枚では、資料が全部出そろった時、見劣りがします。それはここにございます武蔵野美術大学美術資料図書館、浦安市立図書館、全日本合唱連盟附属合唱センター、その三点でございます。これはせっかくご推薦いただいたのですが、選考委員全員に評価材料となる知識を持っていただくための充分な説明資料がございませんでしたので、結果として入賞に至りませんでした。これはやむを得ないことであります。
一つお断りしなくてはなりませんが、だからこの三点がもともと他に比べて劣っていたかというと、そういうことでは一切ございません。もし責任を問うとすれば、推薦した方に問いたい。この結果は推薦対象の価値を直接反映していないということは断っておきたいことです。私の個人的な好みで言えば、例えば合唱センター、実際に出かけていっていろんなお仕事を伺えば、さらにいろいろおもしろいことがあるだろうと思います。未発掘の部分があると思いますので、そういう意味では大変残念なことになりました。
さて残る六つなのですが、その中の入選された御三方は今ここにご在席で、今日はこれから、ご本人の大演説がございますので、それらについて言ってもしょうがないですね。それらを含めて少し雑談的に話しをしたいと思います。
仮に、今日の私の話に題をつけるとしたら、「人と本をどう結ぶか」、ということではないかと思います。人と本を結ぶのに、例えば場として図書館、人として図書館員がいます。図書館サポートフォーラムとして図書館を考える場合に、人と本を結ぶということは図書館で行われている仕事が中心になる。ただその機能面が重要ですから、その場所を何も図書館に限る必要はないのではないかと思います。
例えば八重洲ブックセンターというのがあります。人と本を結んでいないかと言いますと、明らかに結んでいます。ご存じのようにあそこの半地下には、レファレンスコーナーがあります。本屋さんというのは人と本を結ぶ仕掛けの一つですから、誰か八重洲ブックセンターを推薦してきたら、対象とする可能性はあるのではないかと思います。人と本を結ぶという機能の面では同じことです。
人と本を結ぶためには、人に関する知識、本に対する知識の両方が必要です。その両方を知るということはなかなか難しい。しかし結びつけるということは、両方を知らなければできないことなのです。
図書館というのは、本についての知識を仕入れやすい場である反面、人に関する知識を集めにくい場であります。人と本を結びつけると言いながら、それは偏ったものになりがちです。人と本を結びつけるにはだいたい三つくらいの技術的手段があります。〈メディア変換〉、〈レファレンス〉、〈ドキュメンテーション〉です。
その中で一番図書館になじみやすいのは〈レファレンス〉です。レファレンスというのは東大の長澤雅男先生のお話ですけれど、図書館員が図書館の現場から発明した唯一の発明品だということです。長澤先生のお書きになった本にそう書いてございました。〈レファレンス〉というのは人と本を結びつける手段として、非常に図書館的な側面を持っています。何かというとそれは本がたくさんあるということです。だけど利用者が本を借りて読むのは一冊か二冊です。ある特定の人の一冊というのは、ほかの利用者にとっては意味のないものですから、たくさんある蔵書の中から、特定の本を特定の人に結びつけなければいけない。このために目録というものがあります。
〈レファレンス〉というのは、目録からまた更に進んでいきます。ある特定の書物、あるいは文献というものに対して、その中身に直接入っていけるようにする、そのために開発されているのがレファレンス資料、その出版者(社)が日外アソシエーツというわけです。そういうことを考えますと、出版者(社)というのも人と本を結ぶ図書館的な面があると考えられる。
その点で、今回おもしろい人が出てきました。それが、落選されましたけど毛利和弘さんという人、そして近江哲史さんです。
毛利さんの『文献調査法―調査・レポート・論文作成必携』、これは日本図書館協会から刊行されているものです。この本はよくできています。ただこれは類書が非常にあります。昔から佃実夫さんなど力を入れてこられた方があって、その延長上として理解することができます。レファレンスライブラリアンは仕事の傍らで、資料について、本については非常に中身に深く突っこんだ知識の蓄積というものが必然的に身についてくる。それを一冊の本にするということは非常に大切な仕事だと思います。自分の知識を自分なりに確かめるということにも意味がありますし、もちろんこれはテキストブックとしても、あるいはレファレンスカウンターに置いておいて、ライブラリアンの日常のレファレンスに役立てることにも意味がある。ただこれは残念なことに落選しました。
一方近江さんという方がいらっしゃいます。この方はひとりの図書館利用者です。その利用者が自分でリファレンス・ライブラリアンになってしまったというケースです。これは今までにないケースで、新しい方向の一つを示していると思いますし、その意味では〈レファレンス〉というものが何も図書館員だけに行われる仕事というわけではない、誰もがそういう能力を身につけることに意味があるということを実証してみせた。そういう意味でこれは画期的な仕事だと思います。多分それを他の委員も評価したと思います。
特に『図書館に行ってくるよ』、『図書館力をつけよう』の二冊の著書、この中で近江さんが言っているのは、図書館の外から、自分がレファレンスライブラリアンになったつもりで図書館を使うというノウハウの開発です。まさに近江さんの言葉を使えば図書館力ですね、これは非常な新しさを持っている。そこを評価されたのですね。これは近江さんがどのような勉強の仕方をしてフリーランスのライブラリアンになったかを実証して見せる本です。図書館に外から近づいていくための本はやっぱりこのくらいのフリーランスの人でなければ書けないのでしょうか。それに対して図書館員が利用者に向けて書く本は何故こんなにつまらないのかという気がいたします。本を知っていても、利用者のことを知らないということを咎めるべきなのかもしれません。ひとことで言って、フリーランス・リファレンス・ライブラリアンの誕生。それが近江さんの受賞理由です。
さて人と本をつなぐというのは冒頭に申し上げたように三つあります。もう一つに、メディアの変換、というのがあります。革新的といいますか、より深く問題の本質につっこんでいるという点で誉めなければならないのが松岡享子さん。それから紙芝居がありました。
紙芝居文化推進協議会は落選してしまいましたが、この候補はなかなかすぐれた面があると私は思っております。紙芝居の推薦があって私は初めて知ったのですが、紙芝居は日本の発明品なのですね。私も紙芝居と言えば、子どものころ飴を買って、おじさんがやる探検物や戦争物をよく見ました。いちばん表に絵が出ていて、いちばん裏にその台詞が書いてある。図書館だったら、紙芝居のセットを貸すから閲覧室で読みなさいということになりますかね。それではおもしろくないのです。あのおじさんが、それなりの台詞回しをもって読んで聞かせるからおもしろい。それが子どもの耳に響く。いい年になっても、まだ耳元にそれが残っています。それが〈メディア変換〉の持っている力を立証している。紙芝居というのはメディア変換の非常に原型的なもの、プロトタイプであります。
紙芝居で残念だったのは、推薦において特定の個人があげられていないことです。この人が創案して紙芝居協議会をプロモートしてきたとか、アドバイザーでもいいから個人名が挙げられていればまだしも、選考委員会ではどこを見定めて評価して良いか分からなかったことも入選を逸した一つの理由だろうかと思います。
ところで余談ですが、皆さんは全部で25枚の絵からなる紙芝居で、例えば15枚目の絵の裏には何枚目の絵の台詞が書いてあるか、すぐに言えますか? 図書館のカード目録にクイズ性はありませんが、紙芝居の表と裏の関係は、こうしたクイズ性も秘めています。
とにかく紙芝居屋さんは、自分で資料を作り、それを演じて見せる。手書きであれ活字であれ、文字列を読んで聞かせる〈メディア変換〉。それが紙芝居にもありますし、それをもっと地で行ったのが松岡さんです。
松岡さんの仕事というのは、子どもが読む本をご自身でお書きになること、あるいはお集めになること。そしてそれを見せる。子どもはなかなか読みませんよね。だからそれを読んで聞かせるのです。人と本をつなぐのに、〈メディア変換〉という操作がある。これが重要なことです。もちろん松岡さんは他にも重要な仕事をたくさんしていらっしゃいますが、一番の基本は子どもに本を読み聞かせるというこの単純な、しかし決定的で重要なことだと思います。
我々はやはり母親から話を聞いてものごとを覚えていきます。児童書を見てみると、それは会話の連続です。子どもが親から言葉でお話を聞いた、そのスタイルが耳のどこかに残っていて、本の読み方もそこから身につけていく。だから楽しい会話の連続という児童書は、子どもにとって母親の話と一緒です。我々は本の読みかたの前に、声の聞きかたというところから入っていって、興味がだんだん出てきたときに初めて文字列になっている会話に接していくのです。そうして子どもが一人前の本好きになっていく。これが私の申し上げる〈メディア変換〉というものです。
人と本をつなぐというときに、〈メディア変換〉というものは非常に強力な方法であると私は思っています。松岡さんの場合たまたま児童書ですけれど、そして児童の場合には私が申し上げましたように育児的な側面がありますけれど、これが私が人と本とを結ぶかけがえのない手段と考えるところです。
三番目に〈ドキュメンテーション〉があります。ところで図書館と〈ドキュメンテーション〉というものは似て非なる、というか、境界が分かりにくいものです。
図書館というのは探し物の世界です。探し物というのは、何があるか、どこにあるかという二つがあります。図書館というのは徹底して、どこにあるかということを探します。それ以外の探し物はしません。
先ほど申し上げた〈レファレンス〉というのは本の中に入っていくものです。ある特定のデータを探し出して、これはどの書物のどこにあるかということを探す手段を提供する。これが〈レファレンス〉です。
私はさる研究所で働いておりました際、職員に対して、徹底的にクイズを作ってやってもらいました。一回に十問くらい出しまして、二週間くらいで解いて、一人一人に答えを提出してもらいます。お互いに教え合ってもいい。仕事そっちのけでみんなやっておりました。『a』というタイトルの雑誌がある、どこが出していて、入手可能かどうか調べる、という問題がありました。それを調べるには雑誌の存在が載っているものをどのくらい知っているか、どのくらい探し方を知っているかということになります。非常に熱心な若い社員たちが残業してとうとう見つけました。今その雑誌が出ているか知りませんが。
例えば、その雑誌を調べるには、何という本のどこをみるか。これが探し物ですね。どこにあるかということを探すことになります。図書館というのは徹底して、どこにあるかということを探す。何があるかという探し物をしない。
レファレンスライブラリアンは文献の中身に入っていきまして、それを探し物の役に立つように編成し直したツールを使う。ところが一方で何があるかを探すということがある。これは探し物に二種類あって、簡単に分けられないのではないかと思われるでしょう。その通りです。何があるかということを探すのと、どこにあるかということを探すのは本来一つの探し物なのだとするときに、次の展開が出てくるのです。
そうすると急に展望が開けます。〈ドキュメンテーション〉というものは一つの手段なのだと。何の手段か。大づかみに言って、調査研究の手段ということがはっきりします。そうなってきますと、これは研究活動に密接に結びついて初めて、「どこに」と「何が」を探すことが、分けられないということがはっきり認識できるようになります。
〈ドキュメンテーション〉の立場を取っておりますのが、高橋晴子さん、平井紀子さんのお二人です。このお二人は大変似た仕事をされております。
惜しくも入賞を逸されました平井さんの資料『服飾史の基本文献解題集』をここに持ってまいりましたけれど、大変よい仕事です。イコノグラフィーという分野がありますけれど、それを充分にふまえた大変立派な仕事だと思います。
高橋さんの仕事も大変よく似ています。高橋さんはドキュメンタリストとして服装の研究、ドレスコードの研究、そういう分野の仕事をなさいまして、特定の蔵書や図書館の現場を踏まえてということではありません。もちろん多少はそうなのですが、非常に応用範囲の広い仕事であります。
それに対しまして、平井さんの仕事は、文献の中身を解題してみせる。一冊一冊の書物を対象とするという点で、いわゆる書誌学に極めて近い。一方、中身が衣装に関する本であるところはお二人非常に似ております。平井さんの場合、徹底してイコノグラフィーを解題に適用した点で書誌学を越え、ドキュメンテーションの領域に接近しているところが特徴です。
高橋さんの仕事はどういう特徴があるかというと、これはもちろん衣装の研究、身装の研究ということに直接結びついているし、『近代日本の身装文化』は学位論文なのですね。つまり衣装なり、衣服なり、装身具、そういうことを研究する、そのこと自体を学問として捉えて、自分で研究をなさった成果の一つがここに現われているということです。しかもここには研究手法なり方法論なりという部分が外してあります。そういう意味では研究書そのものではありませんが、非常に立派な書物ができあがっていることは、先ほど申し上げましたとおり、〈ドキュメンテーション〉という分野が研究と不可分に結びついていると言うことです。
それは、何があるかを探すことと、どこにあるかを探すことを不可分に捉えるから、そういう発展が得られるのだと思います。そこに図書館と〈ドキュメンテーション〉の違いがあらわれています。
先ほど〈メディア変換〉ということを申し上げました。文字列から音声への〈メディア変換〉です。子どもに母親が本を読んで聞かせるという〈メディア変換〉が持っている育児への好影響でした。高橋さんの場合はオブジェクツを写真に撮ったり書物の中から画像部分を選び出したりして画像データを造り、それをデータベース化するという〈メディア変換〉です。しかもそれ自体を目的としたのではなく、あくまでもドキュメンテーション、つまり何があるかを探し出す手段として活用しました。“身装文化”の研究のためです。画像データベースを造るという〈メディア変換〉が先にあって、それを踏まえて自分の学問が可能になっているのです。
人と本をつなぐという機能のなかで、〈メディア変換〉というものはかなり画期的な可能性を持っていると思います。〈メディア変換〉というものは図書館でも活用されているし、子どもの教育にも、自分の勉強の際にも、役に立っている。文字列になっているものが音として耳に入ってくる場合にも、研究対象を画像として処理する場合にも、やはり大きな可能性を秘めていると思います。
以上のように今回のフォーラム賞は三人の方が受賞なさいました。近江さんは“レファレンス・ライブラリアンのすなるレファレンスを利用者とてしてみんとてするなり”という新しい分野に、説得力のある筆致で先鞭をつけました。松岡さんは、文字列を音声にして読んで聞かせることが育児教育、特に知育に決定的な影響を及ぼすことを大人がもっと理解すべきだという信念で仕事をしてこられました。それを私はメディア変換の重要性として再評価させていただきました。高橋さんは、不可分離な二種類の探しものを具現する手段としてのドキュメンテーションをご自身の研究に活用して成果を挙げられました。
それぞれどこかしら関連しながら、しかしそれぞれたいへんユニークな業績をあげられた三人の方々を今年のフォーラム賞受賞者として表彰することができて、たいへん良かったと思います。 |
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