【山中湖情報創造館ウェブサイト】 |
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【受賞理由】 山梨県立図書館司書、石和町立図書館設立(初代館長)を経て、初代館長として大泉村に八ヶ岳大泉図書館を建設し「金田一春彦ことばの資料館」を設置。一方、県内の図書館ネットワークなどパイオニアとしてIT化を推進、図書館資料のデジタル化による資産の共有をはかるため、NPO地域資料デジタル化研究会を立ち上げ、現在は山中湖に情報創造館を設立させ、その運営を受託している。館界の常識をこえた、斬新なアイディアと行動力の人である。 |
【受賞のことば】
花開きて蝶来たる、蝶来たりて花開く、橦木がなるのか鐘が鳴るのか、鐘が鳴るのか橦木がなるのか、我あれば彼あり、彼あれば我あり、受賞者あれば表彰者ありということで(笑)、いろんな方がノミネートされている中で、その一人に選ばれたこと、光栄であります。実はこの表彰についてのお話を頂いたときに、石井先生から電話が入ったときに、それを聞いていた福島に嫁いでいた娘がですね、「なにお父さん表彰されるの?」「そうらしい、NHKの地域放送文化賞以来だ」と話をしたら、私の娘が、「たしか文化勲章以外はもらわないって話していなかった?」と言いまして(笑)、「たしかそうだったなあ、でもこればっかりはいただかなきゃいけない賞なんだよ」ということでいただきました。どうもありがとうございました。
花開けば蝶来たる、蝶来たりて花開く、つまり一者と二者がいて春という三者がいて、表彰というのはそういう評価の中にあるのかなあと思いますと、私だけではなくて、私と一緒に地域資料デジタル化研究会を立ちあげたメンバーや、今、山中湖情報創造館で働いているメンバーがともにいただいたものかなあと思って非常に嬉しく思っております。ありがとうございました。 ちょっと時間が押し迫っているので、5分くらいで、紹介したいと思うんですが、実は私、表彰される理由の中に、一番大きなものは、指定管理者でもない、それから山中湖で情報創造館という名前で図書館活動したんでもない……言うならば、日本の文化あるいは歴史を、地方がどうとらえていくかということを、もう一度地方の人たちに訴えたい、というのが対象だろうと。公共図書館は東京から発展しました。三多摩地区を中心にして70年代の公共図書館はスタートした、そしてそれに追いつけということで日本のそこいら中の公共図書館――あるいは自治体がといったほうがいいかもしれません――それが真似をしながら日本の公共図書館は作られてきたような気がします。さきほどY図書館はもういらないというおっしゃり方をなされた方がおられますけれども、ある意味、いえば金太郎飴みたいな形でつくられてきた、70年代、80年代、90年代前半、こんなことでいいのかなあと憂いておった一人でございます。その中で幸い、石和町立図書館をつくらせていただくきっかけができまして、この折、実は今年お亡くなりになりました天野建という知事がおりまして、この知事から「石和の町に図書館作ってよ」という話をいただいて、私は当時、県立図書館の郷土資料室の職員だったんですが、「いいですよ」ということで、県職員をやめて、町役場職員として石和町立図書館を作らさせていただきました。その折、なんでビデオだとか映像だとかそういうふうなものを図書館にとりこんでいけないんだろう、ということを感じました。当時、著作権法の改正がありましたんで、著作権の映像情報も図書館も貸して良いよということを法律で決められたとき、すぐ実践させていただきました。ですから日本で初めてビデオテープの貸出しをした図書館が石和町立図書館でした。47歳のときに町長が変わりまして、「小林さん、今度は役場の課長になってくれ」という話を持ってきたんですね。「それはなぜですか」と聞いたら、「図書館長というのは一番若い管理職の登竜門だ」と、こういう話だった。というのは、私が県から石和町の役場に行ったとき、まだ40歳、それで図書館長ということでしたから、役場としては異例な若い人事での管理職、ということだったんでしょう。そこで図書館長が一番若手の課長ポストだということが石和町役場職員の中にずっと広まったようでございまして、それで町長が小林さんそろそろ47歳になったんだから、ぼつぼつ館長職を譲ってほしい、というこんな話になりました。当然私は、「冗談じゃない、私は図書館のためにこの石和町に来たのであって、課長になるために来たんじゃない、町長さん申し訳ないけどこれは受けられない、かといって、今ここで即、私が辞めることは、せっかく立ちあげてきた石和町立図書館の後をつなげていくことができないから、一年間、館長職を養成させるという意味で置いといてください、そして翌年の3月にはいさぎよく退職をいたしますから」ということで、ちょうど小椋佳が銀行を退職すると同じ年に、退職を致しました。石和の図書館は準備室からかれこれ7年務めさせていただいたんですが、その後浪人を致しまして、好きだった知事さんのもとに山梨県の図書館計画作りませんかということで周辺の図書館と県立図書館が――ネットワークを当時まだ電話回線でつないでいた時代ですが――オンラインで蔵書を交換するという仕事のお手伝いをさせていただきました。当時、その中で図書館界の雄に非常に叱られた覚えがございます。自分の公共図書館の蔵書がしっかりしてないうちに隣の図書館に手を出すとは危険だ、ということなんでしょうけれど。 次に私の一番うれしいことは、八ケ岳の大泉村という人口わずか4800人の村でしたが、そこで『金田一春彦ことばの資料館』を作らさせていただいたことでございます。これは山田村長さんが「小林さん、浪人してるんだったら、大泉村に図書館作ってよ」ってことで、「いいですよ」って二つ返事っていうのはよくあることですが、一つ返事でございまして、もうそれで引き受けてしまいました。さっそく、その次の日に金田一先生に手紙を書かせていただきました。金田一先生、大泉村に別荘をお持ちでございます。先生は杉並の松庵にたくさんの本を蔵書されていると思いますが、大泉村で図書館を作るという話が出ておりますので、どうぞもしよろしかったら、先生のお書きになった書物だけでもご寄贈いただければ幸いでございます。行間には、先生、全部でもいいですよ、という意味合いにとれるように書かせて頂きました(笑)。当時、井上ひさしさんが山形県に遅筆堂文庫を作ったばっかりのころでございましたので、金田一先生も大喜びでございまして、「いいよいいよ、小林さん、全部持ってって」と言うことで2万冊の蔵書をいただいて、金田一先生記念図書館を作らさせていただきました。私は図書館は人づくりだ、とよく図書館界で言う言葉を、このとき初めて実感いたしました。金田一先生は資料館の書斎風のところに、夏の間、研究のためにいろんなものを広げて勉強なさってるんですね。そこへ小学生や中学生や大学生が、どんどんやってこれるような施設づくりをしたわけです。そうすると、金田一先生の隣で大学生が卒業論文を書く、その隣では小学生が夏休みの宿題を仕上げる、こんな雰囲気を作ったんです。そうしましたらその翌年の3月、泉小学校の卒業論集の中に、僕は国語学者になりたい、というのが2名現われました。泉小学校はまだ本当に40数名のクラスしかない単級の学校でありますけども、2名。これこそまさに人づくりですね。というのは、先生が気さくに、「何勉強してるの?」とかそんなふうに声をかけられて、そして話題が広がりながら、「僕はね、日本語の勉強をしてるんだよ」なんて小学生に話をしている。そんなことがきっかけだったでしょう。卒業論集に書いた2人は今、高校3年生でございます。来年の大学進学が楽しみです(笑)。どこを選ぶのかね。 そんなことで図書館づくりは人づくりだということを自分の手で、目で確認したというふうな思いがございます。そして大泉の図書館では3年間と言う約束で退きまして、新しい人に館長をゆずって、今度は山中湖情報創造館――私、何かやるときに日本一でないと気が済まないタイプでございまして、石和の時にもビデオテープを最初に、大泉の図書館では自動貸出しシステム、ブックディレクションシステム――BDSですね、この2つを公共図書館で本格的に取り入れた。これも図書館界から批判を受けました、とくに日本図書館協会からご批判を受けました(笑)。そういうなかで、いやこれこそまさに図書館サービスの神髄であろう、というふうなことで『図書館雑誌』には数本論文書かせていただいております。またお読み頂ければと思いますが、そこで今度、山中湖では、平成15年9月2日、指定管理者制度が施行されて、単に国や市町村の団体でなくても、民間会社でも、あるいはNPOでも図書館運営が出来るという法律改正がなされたときに、すぐに準備をさせていただいています。正直申上げてその改正以前にもう準備していました。そのことはみなさんのお手元の資料に、この図書館雑誌の4月号に書かせていただきましたが、仮に法律が施行されなくても、実刑覚悟でやっちゃえということで決断をして、自治体の職員と話を進めておりましたら、進行中に、地方自治法が改正になり、文部科学省も非常に弾力的な発想になりました。 先に井上表彰委員長がおっしゃられましたが、名誉教授図書館を作りたいと思っております。第一号になると思うんですけど、先生、50万ご出資いたしませんかと。出資頂けましたら、先生の蔵書、奥さんから嫌われている蔵書をひきとりまして(笑)、そしてそれをその図書館の一画に置きまして、利用者が来られたら、入館者ひとりいくら、もっというなら一点利用料いくらということでいただいて、先生からお預かりした金額よりオーバーしたら差し上げますというかたちで、簡単に申し上げますとそんなようなシステムで作れるだろうと。国立国会図書館を上回る利用率になると思いますよ。これは今大学図書館がどこの名誉教授の寄贈ももう欲しくないと言っているわけですから、したがって安い土地の中に、半永久的な施設を作りたいんですが、その建物をつくって、それを増設していくことによって一大プランが仕上がっていくんじゃないかな。サポートフォーラムというくらいですから、みなさんサポートしていただきたいというふうに思うんですね。利用しやすい、しかも原所蔵者の魂が残る図書館となりますよ。 最後になりました。受賞してしまったらもうそれで小林是綱さん図書館活動やめろっていう意味でくださったのか、あるいはこれからもっとがんばれ、という意味でなのか、そのことについてはまた末吉会長の方から懇親会の折にでも言ってくださればさらにまた元気になるんです。そんなところで、夢は、日本中の公共図書館の館長を司書有資格者で一色に染めたい、これがひとつ。それからもうひとつは名誉教授の図書館をつくりたい。私自身は今早稲田大学の非常勤講師をしていますが、名誉教授にはとてもなれません。なれませんので、そのお手伝いをさせていただこう、というようなことで、微力ながらがんばりたいと思います。もう一度この表彰についてお礼を申上げて、末吉会長様にも深くお礼申上げながら挨拶と代えさせてください。ありがとうございました。 |
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